お賽銭チャレンジ


いつも散歩に行ってる公園にある龍神様の所に、いくつかお知らせが書かれていて

一つはお守りやお札の値上げの件、もう一つは龍神様のお社について。

 

龍神様のお社って道端にあるくらいの小さい物なのですが、そのお社の鉄の屋根が盗まれたので

お社を新しく作り直したいので寄付のお願いの文章が書かれてました。

 

屋根が盗まれたのが昨年の9月。私が龍神様に初めてお目にかかったのが昨年の11月。

2か月前にそんなことがあったなんて知りませんでした。

 

屋根にビニールシートがかかっていたのは知っていましたが、小高い場所にあるので

風に飛ばされちゃったのかなと思ってました。

 

 

いつもかなりお世話になっている龍神様なので、驚きよりも悲しい気持ちの方が大きかったです。

 

とっても優しい龍神様なのに、何でも願いを聞いてくれる龍神様なのに

そんなに欲しいものがあるなら龍神様にお願いしたら良いのに

 

物を盗むこと、物を壊すこと、そこに真実があるなら

その人の真実の世界はそう見えているのでしょう。

 

でもそれは私の見ている真実の世界とは違います。

 

なにか不都合があるなら、それは不都合な世界を自分が創っているだけのこと。

理想の世界は、自分がそう見ればそういう世界に見えるのです。

 

屋根を壊して盗んだ人、そのことに気づけば、もっと楽しく楽にお金を手に入れることが出来るのに

悪いことをしている後ろめたさや罪悪感を持たずに

日の当たる場所を堂々と歩いて生きていけるのに

 

もったいない生き方をしてるなと思いました。

 

 

 

と、そんな出来事があって

ふと、思い出したことがありました。

 

何年か前に読んだ『心屋仁之助』さんの本の中で

お金が欲しいなら…だったかな?何かお金の巡りを良くするために

お賽銭に一万円入れてみましょう!というのがあって

 

私もいつかお金に余裕が出来たらやってみたいなと思っていたことがありました。

 

それを思い出して

「やるなら今だ!」と思ったんですね。

 

 

そう、とてもお世話になっている龍神様のためなら

一万円なんて簡単に出せる!

 

そう思ったんです。

 

 

 

その後でエゴがたくさん出てきましたが、第一声は感謝の気持ちからの発想だったので

これは自分の真実だと確信してました。

 

 

沢山のエゴを纏いながらも、自分の真実、感謝の気持ちを持って

一万円をお賽銭箱に入れました。

 

 

心屋さんが言うには、大金をお賽銭で使ったことで

お金のブロックが外れるとか、何か知らんけどお金の流れが良くなるとか

そんなようなお話でした。

 

なので、私のエゴも

これでお金の流れが良くなるぞ、とか

こんな大金をお賽銭にするなんてみんなに感謝されるぞ、とか

龍神様に特別扱いされるかも、とか

 

私凄いだろアピールしまくりでした(笑)

 

 

そんな気持ちの真ん中には、龍神様への感謝があるのを感じてました。

 

だからこそ、エゴも一つ一つ感じきって私の世界に戻ることを続けました。

 

 

 

この一件でこんなにエゴがあって、こんなにエゴがザワついてということに気づけました。

 

 

それと、どうせ大金をお賽銭にするなら、心から感謝出来る神様に奉納したいとも思いました。

 

だから今回のお賽銭チャレンジは私のベストな状況でベストなタイミングで来たなと感じたんです。

 

 

 

何か何もかもシナリオ通りみたいな感じがして

一万円をお賽銭にして、お財布には二千円しか入ってないのに

とっても軽くなった感じがしました。

 

 

気持ちの良いお金の使い方というものを体感できた出来事でした。