考えすぎること


物事を理解して考えて行動するって、大切な事だと思います。

 

何かを学んで理解して実践する…

 

 

実践するには理解することが大事なのですが、理解できたということは「納得した」ということになりますよね。

 

 

 

私もそうでしたが、人って納得できないことは受け入れられませんよね。

 

納得するということは、目の前に確かな証拠があるということ。

 

確かな証拠とは、見て確認出来る事。

 

 

つまり、物的証拠がないと信じられないし、納得できないんですね。

 

 

 

 

それって当たり前のことですし、間違いではないです。

けれども、物的証拠はないけれど、感覚的にそうなんだと思える事も、この世には存在します。

 

いろいろありますが、特に「感情」はそうだと思います。

 

 

 

物的証拠はないけど、そうだと思う感情の一つに「思い込み」があります。

 

 

「思い込み」は、全ての人が同じ思い込みを持ってるわけじゃなく、人それぞれ思い込んでることは違います。

 

それぞれの感じ方で「そうなんだ」という解釈がなされ、思い込みができあがります。

で、人は、その思い込みを信じて自分の世界を見てるわけです。

 

 

 

 

ここまでは、誰でも簡単に気づくことは出来るのではないかと思うのですが

気づいていても、思い込みがなくならないって状態が続いている人は多いです。

 

なぜなら、「納得してない」からです。

 

 

「納得する」とはつまり、『腑に落ちる』ということなんですね。

 

 

 

『腑に落ちる』とは、当たり前のように感じられるようになることです。

 

 

理解しているけど、それをなかなか行動に出来ない時って、もどかしさを感じますよね。

で、いろんなワークやメソッドを必死になってやります。

私もそうでした。

 

 

 

でもこれって、理解を理解しようとしてるので、いつまで経っても理解の壁を越えられないんです。

 

 

 

腑に落としたいと思っていることは感情という『感覚』です。

 

物的証拠では表せない『感覚』なんですね。

 

 

感覚なので最終的には、感覚的に自分の中に入ってくるもんなんです。

『感覚』とは、理解、頭で何とかできることではなくて、感じる事で入ってくるものなんです。

 

 

 

 

理解できてるのに、なかなか腑に落ちない…

このようなループにハマっているなら

考えることをやめて、感じることに意識を向けてみると

すんなり腑に落ちたりするものです。

 

 

ガチガチにならずに、ユルユルでいることが一番良い状態なのかなと思います。