我慢して苦労してこそ、本当の幸せが手に入れられる…と、親から大人たちからそう教えられてきました。
確かにそれが最高の幸せ、豊かさだという価値観もあります。
その価値観を、「昔は~」とか「以前は~」という人もいますが、今でもこれからも
そういう価値観はあり続けるものだと思います。
昔じゃなくても、今じゃなくても、いつだって価値観は様々です。
人がそれぞれに、魂の成長と共に価値観をつくり上げていきます。
今、その人に必要な事がその人の周りにある。ただそれだけのことなんですね。
それを自身が理解していれば、何が起こっても常に「心地よい」感覚でいられるはずなんです。
しかし、ここは二極化の世界。良いことは心地よく、悪いことは心地悪いのです。
何があっても心地良くなんてならないですよね。
それならそれで良いのです。
ならば、あえて心地良いと感じることを選んでいきましょう。
心地悪いと感じることを「悪い」と思うのは、心地良いと感じることをしないで我慢しているからなんですね。
「悪い」と感じるのは、根底に自己否定があるからなのですが、この自己否定が「我慢」という感覚を生み出すんですね。
我慢をしないとは、自分を否定しない事。
とことん心地よさを感じて日々を過ごすことに、罪悪感なんていらないんです。
とはいえ、現実世界では、やらなければいけないこともたくさんありますよね。
あなたがやるべきことは、しっかりやって、その他のことであなたが我慢することなく、心地よさを感じる時間を過ごしてみましょう。
自分に無理をさせない、我慢をさせない。たまにはそんな選択をしても良いのです。
それは我がままでも何でもありません。
自分を大事にすることは、周囲に対しても同じように接していることになります。
心地良い時間をたくさん過ごせるようになると、良いことと悪いことの区別もなくなります。
自分を大事にする行動に許可が出せるほどに、自己否定感が無くなっていくので
自分に優しくなり、周囲に対しても柔らかくなっていきます。
良い悪いの境界線があやふやになっていくと、世界が優しく見えてくるんですね。
世界が優しく感じられるようになると、苦しいと感じることも少なくなるので、生きやすさを感じます。
生きることが楽しいと思えるようになるので、生きていることに感謝の気持ちが湧いてきます。
心地良い時間をたくさん過ごせるようになると、心にゆとりが出来るので、いつも安心な状態なんですね。
我慢が必要な時もありますが、そもそもの「我慢」の認識を変えれば「辛い我慢」ではなくなります。
それにはまず、心地よい時間を過ごすことを意識していきましょう。